写真は写真の上でクリックすれば大きくなります。
戻るボタンで元に戻ります。
三島と修善寺・韮山(静岡県)



たきおちてしんらばんしょうとよもせり

滝落ちて森羅万象とよもせり



三島

なつちょうやラバあらわなるいけのうえ  4年前の早春、伊吹嶺主宰の栗田やすし師に誘われて韮山と柿田川湧水に吟行していらいの三島で ある。 今回は、伊吹嶺の俳句鍛錬会であり、伊吹嶺に入会して6年目ともなると、如何にのんびり屋の私 でも、あまり変な句も発表出来ないと、今までになく疲れてしまった。
 それでも瞬間的には連衆の句に啓発されること頻りであった。残念ながら帰ってきた今は、その ほとんどを忘れてしまう情けなさではあるが、何らかのおりに一フレーズでも参考になるのではと 思うことにしている。
 前回の写真、俳句も交えて、三島から修善寺近辺の吟行記としてみた。
せいりゅうのながきとびいしびわうるる  低気圧の通過で、熱海を過ぎる頃は電車の窓を雨が音を立てて打っていた。しかし幸いなことに 三島駅を降りて、最初の吟行地と定めた楽寿園に入るころには雨は上がってしまった。
 楽寿園は小松宮彰仁親王が明治23年に造営、その後1911(明治44)年に李氏朝鮮最後の皇太子 李垠(り・ぎん)に譲渡された。奥方は元皇族の梨宮方子(まさこ)妃だった。 1927(昭和2)年に民間に渡り、大戦後米軍の接収を受けたが1951(昭和27)年に三島市の所有となった。
 中は天井や襖、杉戸絵など素晴らしいものがある。また、李垠が建て増した部分は朝鮮建築の匂いが 随所に残っており、これも面白かった。
 園内は天然記念物の小浜池(最近はなかなか水が溜まらないそうだ)や森、動物公園 などになっている。
源兵衛川の海桐の花

   夏蝶や溶岩露はなる池の上

   黒南風の止んで香れり花楝

   丸窓の軒に雨垂れ五月闇

ものはなやはやきながれにゆるがざり

   清流の長き飛び石枇杷熟るる

   湧水の石にくちなは尾を見せり

   藻の花や迅き流れに揺るがざり

早春の韮山と柿田川

 ここで四年前の韮山の江川邸や代官屋敷。頼朝遠流の地である蛭が小島、北条政子産湯の井戸。 願成就院などの写真と句を載せさせてもらう。
もちろんその時も見たが、反射炉。そして帰りに薄暗くなって寄った柿田川源流など、今回足を伸ばせなかった写真 を中心に入れておく。
 江川邸では裏門に残る秀吉が小田原攻めの際の矢玉跡にびっくりさせられた。
 柿田川源流は写真には光線が足りなく、その時も撮れなかった。
 砂底をぼこぼこと湧き出る水やはやの影などを楽しんだ。
 そして帰りに三島駅近くで食べた鰻の美味しかったことが思い出され、今回も昼食は鰻の老舗で 堪能することとした。


   矢玉痕著き門扉や冴返る

   蛭ヶ島遠流の地とや余寒なほ

   寒明けし厨に祀る生き柱



   輝きて富士の稜線春めける

   耕や富士の湧水たばしれる

   夕富士や湧水に聞く春の音
下の二句、2004’5月号伊吹嶺「伊吹集」掲載句

 へっついの写真は江川家の厨で、ここには礎石のない、大きな柱があった。これは、生えていた 欅の木をそのまま柱にしたものだそうで、珍しい。
 写真にすると面白味に欠けるので、大きな竈の方にした。
 下の写真は北条政子の産湯の井戸だそうで、この辺りが北条屋敷であったそうだ。
 古い写真や句はこのくらいにしておく。
 今回はホテル到着後二時から十一時過ぎまで句会を分化して行った。
 翌日は萬城の滝、修善寺、韮山の反射炉をバスで巡り、ホテルに帰って最後の全員句会を行い、 三島駅で解散となった。
 関東から参加の九名は魚の美味い三島を去りがたく、十分に反省会をして帰路に着いたのである。


次へ